元三沢の名所
元三沢の守り神 元三沢道祖神
猪毛の道祖神、数ある倉渕村の道祖神の中で極めて異質な、丸彫り単体二神体である。
この型は伊豆半島から、西の三河型と呼ばれるもので、現在も残る下家の伝承によれば下但馬守が、三河地方から運んで来たものとされる。
但馬守は信玄の西上野の目付として永禄年間のはじめこの地に派遣されたらしく、自分が信仰するこの石像を携えてこの地に入り、この像を祀ったものであり、この地は下但馬守の居館跡であろう。
今も五月五日には、祭礼が行われ、広く村外からも、万病平癒の願かけ、願果たしも盛んに行われている。
武田滅亡、下氏の一族の主税助は北条氏政の家来となる。配下の松本城へ出任したらしい。なお、この像は三体あり、その内の背後の一体が下但馬守が持ってきた二体の内一体で天災により一体紛失により再造像をこの地で行ったもので江戸時代中期頃のものと推定される。 (倉渕村教育委員会資料より)
5月5日の道祖神の縁日風景(昭和40年の初め頃の写真)