アンモニア 理科 香水 ストーカー 新婚旅行 ドラゴンズ 麦飯 ランクル 誤逮捕 むち打ち 石灰沈着性鍵板炎 胃カメラ・大腸ファイバー新 |
誕生 1948年1月:名古屋市熱田区花町3丁目で産声。桶修理業の父親は、酒を飲んでブツブツ母に言うのが日課だが、正直者の超善人。母親は下町の明るい単純なおばさん。家族構成はほかに姉・兄・妹・犬・小鳥。 身長 中学3 :身長がちっとも伸びない。中3なのに145.8しかありません。背の高い女の子がまぶしくてしかたがありませんでした。「よし、大きくなってやるぞ」の決意が膨らみます。ただ、この頃の僕は背が低い劣等感のせいか性格が素直じゃありませんでした。だから恥ずかしい話しですが、名古屋市立沢上中学時代の友達とは現在一人も付き合っていません。懐かしい人はいっぱいいるのですが。クラス会を誰も開かないので、いつか立ち上がってもいいなと考えてはいます。 勉強 中学3 :中三の冬休みの合計勉強時間が全くの0時間で終わってしまった私。仲のよい吉川君が『俺でも4時間は勉強したぞ』。その言葉で目が覚めた私は、それから受験勉強を始めたんです。優雅な時代に生まれてよかった。もちろん塾にも行ってませんでした。今の時代では考えられないことですよね。▲ |
高校入学 高校1 :愛知県立明和高校の入学式の日、真っ先に自分より低い男を探しました。そして何という幸運でしょう。600人中たった一人しかいない低い男と同じクラスになれたのです。「2番目だぞ」。家で胸を張って威張りました。148.9センチの彼の名は舟橋金之介、シャチハタスタンプの御曹司です。ちなみに彼よりはるかにノッポの私は152.0センチ。でも真新しい革靴に革鞄の私を見た親はつぶやきましたとさ。「かわいそうに。鞄が歩いとる」 麗ちゃん 高校1 :自分の横の席の女の子の美しい視線が眩しい。彼女の名は麗ちゃん。才色兼備にさらに性格もいい高嶺の花。この恋はずっと誰にも言えずに終わってしまいました。ところがところが、最近のクラス会で麗ちゃんから「実は私はあなたのことが好きだったのよ」。たとえお世辞半分にしろ、この言葉だけでもう何にもいりません。大満足です。ちなみに私の二女の名は麗です。 奥手 高校2 :背を伸ばすための努力は何でもしました。「神社にお参りに行くといい」と聞けば、大嫌いな早起きを3×7=21日間欠かすことなく続け、毎朝高蔵神社に参りました。「牛乳がいい」と聞けば、馬鹿な話だけど下痢をしてでも飲み続けました。身長は順調に伸び、高2で158.0。高3で167.0。大学に入ってもさらに伸び続け、結局173.0まで伸びました。でもあとから考えてみれば、ただ単に『奥手』だったってだけのことなんです。▲ |
大学入学 大学1 :名古屋大学工学部電気電子学科入学。困った学生で、すぐに麻雀一筋です。めきめき上手くなりました。そして6月。初対面の頭のでかい男と雀卓を交え、彼から役万の国士無双をとりました。それが無二の親友、のり君です。彼は頭が異様に大きく、立つと大したことないんですが、座ると頭ばかりが目立って怖そうにみえます。名大に合格して、お坊ちゃんの彼はブルーバードを買ってもらい、11件長屋の私は自転車を買ってもらいました。 クレペリン 18歳 :大学で剣道部に入った私は、クラブの部費を稼ぐために、人間がいかに疲れるかという人間モルモットのアルバイトをさせられました。照明をチカチカさせた部屋で、3日間ずっとクレペリン検査をやり続けるんです。クレペリンといえば得意科目です。最初は張り切ってやっていた私も、最後にはもうろうとして半分ほどしかできなくなっていました。以来、クレペリンが見るのも嫌いになったことは、言うまでもありません。しかし就職試験で出たんです。クレペリンの研究の進んだ私は、そのときには作業量を少し押さえて、性格がいいとされる形にきちんと収めました。そして合格。やはり何事も経験ですね。▲ |
無臭 小学2 :私は生まれつき鼻が全く利きません。トイレへ行ったり、おならをしたりするときには、臭い臭いと言って鼻をつまむものなのかと、わけもわからずそう信じていました。小2の頃、ひょっとして自分だけおかしいのではないかと疑い、こえだめに鼻を近づけてみました。何の変化もありません。その時から自分の異常に気づいた私は、他人に悟られないように、おならをすると大げさに「臭い臭い」と騒いでみせるようになったのです。『言いだしこきだし』とはよく言ったものです。 アンモニア 中学3 :ひょっとしてアンモニアの瓶からなら匂うかもしれないと、淡い期待を抱いて、瓶のふたを開けました。何も感じません。今度は鼻を瓶に近づけて、すーっと思いっきり吸い込みました。悲しいことに鼻からは何も感じませんでしたが、目が痛くて涙がポロポロ止まりませんでした。この頃は匂わないことが恥ずかしくて、他人にはずっと内緒にしていました。 理科 中学3 :私の得意科目は数学と物理。そういう人は化学も得意なはずなのに、化学だけはどうしても好きにはなれませんでした。臭いもしないアンモニアや硫化水素などを、『刺激臭がする』と答えなければいけないからです。臭いを感じる人は、より犬や動物に近いのだと思います。進化した人類には、臭いは不必要なものではないでしょうか。と勝手な理屈をこねている、ひねくれた私です。 香水 独身時代 :匂わないことがわかると「ムードのない人ね」などと言ってふられてしまっては困ると思い、苦労したものです。デートの時に、「今日は何か感じる?」なんて言われて、わからないときはまず匂いです。「うん、そういえば・・」などと口を濁らせていると、そのうち、「実は香水つけてるの」 「いい匂いだね。でも、つけなくてもいい匂いだよ」などと言ってはごまかしていたんです。人間、嘘をつくということは苦しいことです。▲ |
ストーカー 25歳 :新入社員の千鶴子を見た瞬間、結婚すると勝手に決めました。最初のデートはボウリング。それまでのハイゲームは256。230以上も10回ほどと自信はあったんですが、その日はいいところを見せようと力みすぎてしまいました。デートもしばらくはうまくいってたんですが、そのうち「今日は用事がある」などと言って断られる日が続くようになりました。ライバルも出現しました。それでも懲りずにアタックを続けました。今ならストーカーと騒がれそうです。そして夏が過ぎ、秋が去り、冬が来て、職場から200人ほどの団体でスキーに行く事になりました。絶好のチャンスです。当時その中でスキーは私が一番うまかったのです。芸は身を助く。急速に接近できた私は、1ヶ月後にはプロポーズを成功させていました。ちなみに今はボウリングもスキーも全然ダメなんですよ。年をとると瞬間的な動きを必要とする運動はだめですね。筋違いの元です。 新婚旅行 28歳 :新婚旅行です。幸いにも落書き犯の伊藤善和が近畿日本ツーリストに勤めています。彼に飛行機と宿だけを手配してもらい、のり君に30万円借りて、格安でグアム島へ行きました。名古屋駅の新幹線のホームでは友人が胴上げしてくれました。でも、他のカップルはグリーン車の前で胴上げしているのに、私たちは一般車の前。せめて乗るときだけでもグリーン車の前にすれば良かったと新幹線の中で後悔しても後の祭りです。。グアムでも他のカップルは○○ツアーとかミクロネシアンショーなどを楽しんでいますが、私にはお金がありません。ホテルグアムヒルトンの前のイパオビーチでただただ泳ぐ毎日です。お金が足りなくなって缶詰も食べました。そして旅行から帰って妻の結婚の持参金がちょうど30万円だったのを知り、それでのり君に返したというなんとも情けない男のお話でした。この頃から妻は諦めるということを覚えたようです。 ドラゴンズ 新婚 :妻はあの江川卓と同郷で静岡県の佐久間中学出身。江川は優等生で義理堅く、地元では抜群の評判です。私は熱烈なドラゴンズのファンです。小学生の頃から少年ドラゴンズの会員でもあった私は、中日が巨人に負けた日には勉強も手につかないほどいらいらしたものでした。事件は新婚40日くらい経った頃の中日巨人戦で起こりました。大事な場面で大好きな田尾が三振してしまったのです。その時でした。妻が「へへっ」と笑ったのです。頭に血がのぼった私は初めて妻に怒りました。妻はあっけにとられて何も言いませんでしたが、その初めての夫婦喧嘩以来、中日が勝てば私が上機嫌になることを学習していった妻は、いつの間にか中日を応援するようになったのです。これでいいのだ。うん。円満です。なお、妻は友人のラブレターを江川に手渡す役をしたんですよ。すごい?▲ |
麦飯 幼少 :私は麦飯が全く食べられません。昔あたりまえだった大麦めしは、口の中でつるっとすべるんです。その食感がたまらなく嫌いで、私は幼少の頃にストを起こしました。やさしい母は断食する私に根負けして、私にだけ白米のご飯を別に炊いて、以降ずーっと食べさせてくれたんです。それに対して、ほかの3人の兄弟は文句の一言もいいません。やさしい家族に囲まれて私はすくすくと育ちました。しかしそんなふうにわがままに育てるとろくなことはありません。結局私は家族一番のわがまま息子に育ってしまいました。世の母親に忠告します。過度の甘やかしは禁物です。厳しくすればするほど、子供は結局は親に付くものです。なお、今の私の苦手なものは、麦飯・チューインガム・干しぶどうです。▲ |
ランクル 2001夏:15万キロを越えてもちっとも壊れないタウンエースに嫌気がさしてきた頃、中古車屋で憧れの赤いランドクルーザー80に出会いました。平成5年製で年式こそ古いものの、私にとっては生まれて初めての高級車です。その重厚感と高級感に、ただひたすら感動。運転することや車に乗っていること自体が楽しくなり、不思議とスピードを出さなくなってしまいました。それまでの凶暴な運転が嘘のようです。これで何年かは長生きできたかも? むち打ち 2003年11月 誤逮捕事件のその後 :その後、友人の美容室でパソコンをいじっているうちに、どっと疲れが出て、首を立てていることさえつらくなってきてしまい、近くの友人(のりくん)の家に泊めてもらうことになりました。ところが時間が経つうちにだんだんと首や肩が痛くなってきました。考えてみれば当然のことです。私のような見るからに弱そうな男が、屈強の鍛えられた男達に、腕をきめられたんですから。しかも油断して力が入っていないところを突然なんですから。「なんで自分がこんな目に遭わなければならないんだろう」と、だんだんと腹が立ってくるのも当然だと思います。そこでもらっておいた名刺のところに、深夜に苦情の電話を入れました。電話で対応した警察官は、全く別の人だったんですが、被害者の私に対する言葉遣いが、なっていません。さらに腹が立ってきました。こうなったら「ホームページで実名入りで大きく公開してやるぞ」と、決意しました。慰謝料だって十分請求可能です。 石灰沈着性腱板炎 2006年6月 :一年前から、左肩の関節に石灰が溜まるという厄介な五十肩もどきの痛みに悩まされてきました。痛くて夜中に目が覚めてしまうので、ずっと睡眠不足が続いていました。同級生が経営する石田整形外科の適切な診断で、その道の権威の花村先生を紹介して頂いて、春日井整形外科に通いました。レントゲン写真には、溜まった石灰の固まりがしっかりと映っています。とにかく夏のアユ釣りができるように、注射針で石灰を吸い出そうとチクチクやってもらいました。おかげで昨夏は、石灰がまだ固くて吸い出せないまでも、何とかアユ釣りができました。そして今春5月、鮎シーズンを前に、再度チクチクやってもらいました。するとその二日後からとんでもない激痛が走り続け、どんな体勢でも耐えられません。地球に重力がある限りどうしようもない痛みが、丸二日間続きました。仕事も休みました。しかしレントゲン写真を見ると、石灰が消えかけているではありませんか。嬉しくなりました。治りかけには激痛を伴うようなので、あと少しの辛抱と前向きに耐えています。身体の動きに制約がなくなる日が待ち遠しくてたまりません。 |