バンクを越えて 松本聖志 (平成13年 『プラス』より) 

空手道場『拳真会』では師範として40人の門下生の指導をビシビシ厳しくやる。巨体と鋭い目つきに坊主頭。はだしで逃げ出したくなるほど恐い外見だが、その実、車誘導の典子夫人にはハッパをかけられ、子どもたちとはカブトムシの飼育を楽しむ、心やさしい夫でパパだ
 眼光鋭く真剣勝負の緊張感。現場に響く松本師範のかけ声
 JR岐阜駅近くのダンススタジオ。午後7時から松本聖志師範が主宰する『拳真会』の空手の稽古が始まった。広さ30畳ほどのスタジオの道場には、10人ほどの門下生が松本師範の『イチ、ニイ、ハイ』の掛け声のもと、空手の突き・受け・蹴りの基本動作を繰り返す。5分もしないうちに、門下生の顔から汗が噴き出す。基本稽古が終わると、柔道の乱取りにあたる『組み手』が始まる。師範代の長縄重昭さんの胸めがけて、女性で唯一の黒帯である松野由美さんが突きを繰り返していると、『手の位置が違う』と松本師範の叱声が道場中に響きわたる。
 松本師範は身長178センチ、体重83キロの巨体。しかも、スキンヘッドで眼光鋭いときているから、その指導は迫力がある。入門間もない門下生同士が相対し、一人がうしろ回し蹴りをすると、『軸足を動かさずに、もっと踵でドーンと蹴るように』と、師範みずからお手本を示す。 この日の稽古は午後9時まで続いた。『空手の魅力は真剣勝負の緊迫感にあります。僕は空手を通して精神的に強くなったし、何事においても常に前向きな考え方を持てるようになりましたね。空手があったからこそ、これまでケイリン選手としてやってこられたと思っています』と松本さんは言いきる。

 
高校2年で師範代となり、ときには道場破りと対決も
 松本さんと空手との出会いは、高校一年生のとき。家の近くに極真会の道場ができてさっそく入門した。『中学生の頃に極真会の創始者である大山倍達先生がモデルの『空手バカ一代』を読んでいて、いつかは空手をやりたいと思っていたんですよ。でも、最初はおっかなびっくりでした』と笑う。 入門した松本さんの空手に対する打ち込みぶりは並大抵ではなかった。高校の授業が終わると、道場に直行。週三日の稽古日だけではなく、師範が留守のときは道場のカギを預かって、ひとり稽古に没頭した。朝は学校に行く前に二時間、家の近くの公園で突きと蹴りの稽古を繰り返した。
 入門して一年後の高校二年生の四月には早くも初段。その夏には師範代になっていたというから、稽古熱心でもあったが、格闘家としての才能に恵まれていたのだろう。体格も高校2年で今と同じ178センチ、体重も72キロだった。
『その頃、ときどき道場破りがやってきたんですよ。皆さんは道場破りなんて漫画の世界のことと思うかもしれませんが、当時はそんな人が本当にいて、師範はよその道場の面倒もみていて留守がちで、相手をするぼくは必死。負けたら師範に合わせる顔がありませんからね』 松本さんが手合わせして、一度も看板を持ち去られることはなかったという。 師範代となった直後の高校2年の秋から、松本さんは柔道の道場にも通い始めた。『道場破りに一度組み伏せられそうになって、柔道ができれば役に立つと思いましてね』負けず嫌いのうえに、研究熱心なのである。
 
実践的な護身術が指導方針。門下生は少年から大人まで40人
 松本さんとケイリンとの出会いは、大学を目指していた浪人中のこと。『大学に行って、将来はスポーツ関係のインストラクターになろうと思っていました。浪人中にたまたま見た週刊誌に、「あなたも中野浩一選手のように一億円かせげる」という競輪学校の適性試験のPR記事があったんです』 競輪学校は一発合格だったが、松本さんは競輪学校か大学進学かでずいぶん悩んだそうだ。ウエイトトレーニングをやっていた松本さんは浪人中に重量挙げで国体の予選で優勝し、東京の有名私立大5校から「うちに来ないか」と誘われていたからである。結局、『自分の体一つで稼げるところに魅力を感じて』ケイリンの道を選んだのだが。競輪学校に入学してからは空手から2年ほど遠ざかっていたが、選手デビュー後、公園などで空手の稽古を再開した。
『ケイリンでは相手に揺さぶりをかけられて、アッという間に先に行かれる
ことがあります。空手も自分の立ち位置を間違えたりすると簡単にやられてしまいます。ケイリンも空手も相手の動きにどう反応するかが勝負で、相通じるところが多いんですよ
 しかし、空手とケイリンでは筋肉の付き方、鍛え方が違わないだろうか。
『一般に空手は防御のために体を鍛えて筋肉のヨロイを付けるのですが、その重さがアダとなってスタミナをロスしたり、スピードが落ちたりする。ぼくは、「いかに速く動くか」を考えた独自の
ウエイトトレーニングで、柔らかく伸縮のある筋肉をつくることを心がけてきたから、ケイリン選手としてもよかったと思いますよ』という。
 5年前、『ぜひ教えてほしい』と若い空手愛好者にいわれて、極真会時代の仲間を誘って『拳真会』を結成。現在、門下生は40人を数えている。
 稽古は週3日夜の7時から9時まで。体育館や柔道場、ダンススタジオなどを借りて行われ、水曜日が少年部、金曜日が一般部、そして月曜日が少年部と一般部の合同稽古。
 拳真会の稽古は実戦的な護身術に重きを置いているため、多少荒っぽい。
『少年部は防具をつけるけど、一般部では防具なしで寸止めもない。そうしないと本当の痛みもわからないし、本当の防御も学べないですからね』
 松本さんの子どもは8歳の優希ちゃんと6歳の夏妃ちゃんの女の子だが、二人とも少年部で稽古に励んでいる。『ひとたび道場に立てば、親も子もないので、うちの子どもにも厳しく指導していますよ』
 
車誘導をする典子夫人はロード練習では厳しいコーチ
 
拳真会が誕生して5年、評判がよく、土・日曜日にも稽古日を設けてほしいというサラリーマンの要望もあるが、『本業の競走や練習があって、なかなか時間がとれないのが悩みのタネ』と松本さん。 師範代の長縄重昭さんは、松本さんとは極真会時代の稽古仲間で小学校からの幼なじみでもある。『松本君は道場では厳しいですけど、稽古が終わると心やさしい男ですよ。気はやさしくて力持ちというけど、師範はまさにその典型ですね』 典子夫人も、『主人は道場と違って、家ではたいへんな子ぼんのうです』という。 松本さんの自宅は岐阜市の郊外の田園風景のなかにあるマンション。居間のすみに今年から飼い始めたカブトムシやクワガタの飼育箱が20個ほども並んでいる。オオクワガタを手のひらに乗せて、「かわいいね」と子どもたちに語〃かける様子は、道場とはまるで違うやさしいパパぶりだ。 典子夫人は、「競走先からかかってくる電話は開ロー番、カブトムシは元気か、エサはやったか、です」と笑う。

 典子夫人は松本さんのロード練習の車誘導を担当している。『ぼくのロード練習は郡上八幡か、淡墨桜で有名な根尾までのコース。いずれも往復80キロの距離を走ります。バンク、ウエイトを含めて、練習でいちばん実になっているのが車誘導で、彼女には本当に感謝しています。彼女はけっこう男っぽい性格で、こちらが今日は練習を休もうかなあと思っていると、さあ、練習に行くわよって、ハッパをかけてくるんですよ』と松本さんはニガ笑い。 長女の優希ちゃんは『パパとママは大の仲良し。パパが競争に行くときは、いつも玄関でチューをしているよ』と教えてくれた。
 松本さんに今後の目標を聞くと、『まずS級に早く復帰し、50歳までは現役を続けたい。その後は、空手の指導に専念し、高齢者向けの健康空手教室も開きたいし、自前の道場を持つこと。夢は、門下生と身辺警護の会社を興すことかな』と将来設計も空手の延長戦にある。

 まつもと・せいし
 ●1963年岐阜県生まれ。岐阜東高校卒。競輪学校は適性で一発合格。
 デビューは1984年5月17日岐阜競輪場。
 特別競輪初勝利は86年11月23日の小倉競輪場での競輪祭。
 86〜96年は特別競輪出走の常連メンバー。
 座右の銘は『吾、事に於いて後悔せず』。空手三段、柔道二段。(平成12年時)